医療機関の給与体系−年功賃金型か実力主義型か−
「成果を認めてもらえないなら、辞めます」−−高い費用をかけて求人を出し、ようやく採用した優秀な人材がこんなことを言い出したら、どうしますか?
これは医療機関で実際に起こりうる現実です。漫然と年功序列の賃金体制をとっていれば、このような不満が出てくる可能性はより高いでしょう。ここでは、医療機関の給与体系について、事例を見ながら、年功賃金型と実力主義型の対立軸を考察してみたいと思います。
年功賃金か実力主義か
医療機関で働く専門職スタッフは、その業務の内容から、マネジメントに関わるスタッフのように病院・診療所の経営的な視点をもつことは難しいものです。そのため、事情もよくわからないまま、同僚と給料明細を見せ合ったあげく、「おかしいのでは?」と不満や疑問をぶつけてくるといったことは、簡単に起こりえます。
そういったことが起こらないように定期的に給与体制の見直しを行い、また疑問が出た時には、少なくともきちんと答えが返せるようにしておかなくてはなりません。
多くの医療機関は歴史的に、公務員の給与体系や国公立病院の給与体系に準じて年功賃金型をとってきました。年功序列制を前提とした、生涯とまではいかないまでも長期間の安定した就業を期待したうえで成り立っている給与体系です。
こうした雇用形態はしだいに時代に合わなくなってきており、特に若くて能力のある職員が不満をもちやすく、「成果が認められないのであれば、退職して他院に移りたい」と言い出されるといったことが起こっていますね。
これに対して台頭してきているのが、個人の実力を基準とした評価制度です。まず個人の能力を査定して得られた評価を待遇の基準とすることを能力主義といいます。能力主義でよく知られているのは「職能資格制度」です。
個々の職員の職務遂行能力を評価し、いくつかに分けた段階のうち、どの段階に当てはまるかによって報酬が決まります。潜在能力を評価するものですから、成果を出せていなくても能力があることを認められればよく、しかも「能力は経験によって培われる」という考え方に立っていますので、年功序列ではないにしても、きわめて日本的な評価方法だといえるでしょう。
また、能力が発揮された結果を評価するのが成果主義で、これは能力主義とは異なるものです。成果主義は、昇給も昇進も実力で勝ち取る必要があり、降格や減給もあります。
また、人件費を年収で管理する年俸制との親和性が高いものです。成果主義でよく失敗を招くのが、総賃金抑制のために導入した場合で、成果主義では個々人の賃金に差がつくはずなのですが、導入当初、給与が下がる人ができるだけいないように、これまで通りの給与とし、さらにその後は総賃金が上がってしまわないように、ベースアップや昇給もないまま平行線……。これではかえって職員のやる気を失わせるだけです。
また、プロセスを無視して短期的な結果だけが重視される仕組みだと、個人主義が横行し、チームワークが成り立たなくなってしまいます。個人の成長を助長しつつ、チームの業績を重視してチームワークを促す工夫が必要です。
時代の変化に合わせていく
それでは、給与制度改革の例として、財団法人聖路加国際病院の行った取り組みを見てみましょう。
制度改革の進行
聖路加国際病院では、1300人の職員のうち約130人がマネジメントスタッフです。元々の給与体系は、年功序列型のベース給与に役職手当が付与されるもので、定年前の役職者が最も高い給与水準を得る仕組みとなっており、このことが数々の弊害を生じさせていました。
職員の平均年齢の上昇とともに病院全体の人件費が増大し、相対的に中堅層の賃金水準が低く、最も貢献すべき層の人材のモチベーションが低下しつつあったのです。
制度改革は、病院と労働組合が共同するかたちで給与専門委員会が結成され、検討が開始されました。多くの議論を経て年功序列型の給与制度を廃止し、当時注目を集め始めていた職能資格制度を採用することに決定。
当時は、ほとんどの病院が年功序列型賃金制度だったこともあり、この新しい制度については一般企業の事例や書籍などから学ぶ必要がありました。当初から給与専門委員会に労働組合がメンバーとして参加していたことが功を奏し、透明性が高いものとなり、前向きに導入が進みました。
新しい評価制度
評価においては、年功要素を残しながら、成果要素を取り入れました。入職当初は「年功要素8割・成果要素2割」ですが、年を経るごとに成果要素が増していき、最終的には「年功要素4割・成果要素6割」となる仕組みです。経験を積むごとに個人の成果が問われるようになります。
また、全職員が個人の年度目標を設定し、半期ごとに達成状況を確認。研修や学会発表、論文、セミナー参加といった自己努力は適正に評価します。やがて職員の意識は、「何をやっても同じ」から「やれば認められる」へと変わっていきました。
その後の進展
改革を行ってから20年近くが経過し、目標管理の仕組みを再構築。人事考課は、業績評価と行動評価の2つの側面で行うようにしました。特に行動評価は「コンピテンシー」を利用し、育成すべき点をさらに伸ばすことにつなげています。
(2006年経済産業省医療経営人材育成事業資料より)
最後に出てくるコンピテンシーとは、「ある職種や役割において優秀な成果を発揮する人に共通してみられる行動特性」などと定義されています。
これまでは平均的な人または業績の上がらない人を対象に、どうしたら業績などを上げていくことができるかを模索するという方向性がとられがちでしたが、コンピテンシーの考え方は、より優秀な人を対象にして、その人の仕事に対する取り組み姿勢を観察・分析し、それを行動基準や評価基準として活用することにより、ほかの人の行動の質を上げていくことに役立てようとするものです。
コンピテンシーが注目される背景には、成果主義の導入があります。評価の客観性を高めるためには、業績(成果)評価基準と能力評価基準(=コンピテンシー)の2つの評価基準が求められ、これらは“結果”と“プロセス”の関係です。この考え方は、今後の人事制度構築の核となっていくでしょう。
少年野球になぞらえてみると・・・
まったくの畑違いではありますが、インターネット上のQ&Aページで、こんなやりとりを見つけました。小学生のお子さんがいるお母さんからの質問です。
- 「少年野球は年功序列と実力制どちらがいいのでしょうか?」
これに対して、10年以上、少年野球に携わっているという野球経験者の方が、次のように回答されています。この回答を「医療機関の労務管理」に当てはめて読んでみてください。
- 「私の経験から言うと、この質問に単純に答えるのは難しいです。まともに書いてしまうと、もの凄く長くなるので、簡単に言えば「バランス」としか言いようがないです。その中で、ややどちらに寄っているかというレベルで考えるべきではないでしょうか? 違ったら申し訳ありませんが、実力主義を言う保護者の方の息子さんは概して野球がうまく、年功序列を唱える方はその逆ということが多いです。また、実力があるのとやる気のないのは必ずしも相反しません。完全実力主義というなら、やる気のない子でも実力があればOKということになります」
どうでしょう、的を射た回答だと思いませんでしたか? そして、もし下線を引いた部分が真理だとしたら、実力主義を取り入れるというのは一考の価値があるのかもしれません。この少年野球のスーパーバイザーの方は、こうも言っています。
- 「少年野球の目的は、野球を好きにさせることと私は考えています。好きになるには、面白いと思うことが大切でしょう。スポーツで面白いと思うのは、単純な勝ち負けではなく、『やったぞ!』という達成感を得ることにあると思います。達成感を得るにはなんらかの目標を持ち、それに向かって努力していなくてはいけないでしょう。野球は団体競技である以上、その目標は個人のものだけではなく、チーム全体の目標も必要です」
これも医療機関に当てはめて考えてみると……。給与体系、はたまた労務管理全体の見直しの参考になる大きなヒントが隠されているような気がしませんか。
執筆者 Sawa
記者・編集者を経て、フリーに。医療系の専門出版社である日本医療企画の介護・医療経営雑誌(『介護ビジョン』『ばんぶう』)で執筆を担当するなど、医療・福祉分野を中心に、U-CAN(日本通信教育連盟)、学研、朝日新聞社、リクルート、ビッグイシュー日本などで執筆。2011年よりロンドンにてモンテッソーリ教育を学ぶ。AMI国際モンテッソーリ教師・保育士。